先日の『図解「超」英語法』を読んだ感想 Part 2です。
英語学習に関する非常に有益な指南に溢れた、皆さんにぜひ一読を勧めたい本です。
その一方で、
本書の「英会話学校は最善の方法ではない」(p.16)の部分では、英会話学校を「制御された人工的な環境」「供給者の論理」などといった表現により、そのデメリットの部分だけが強調されてしまっているような印象を受けてしまうのです。
「制御された人工的な環境」とは、講師が生徒のレベルに合わせて手加減してくれること。
「供給者の論理」とは、英語に対する強迫感を煽ったり、ネイティブと話せば自動的に、しかもラクに楽しくマスター出来ると思い込ませることで需要を喚起したりすること。
確かに、「英会話学校に通ってネイティブと話し続ければ自動的に英語が上達する」という安易に思い込む風潮を創出し煽りたてるようなマーケティング戦略にも問題点はあるでしょう。
しかし、多くの読者には、英会話学校は英語習得に「役に立たない」という印象を与えてしまいかねないのではといった不安を抱いてしまうのです。
英会話産業の商業主義的な問題点を指摘するだけならともかく、英会話学校全てをひとまとめにしてしまったような論調には大いに疑問です。
ちなみにウチは英会話学校ではありませんし、英会話クラスもありません、念のため。
「安易な気持ちでは英語は習得できませんよ!」
「大金を払わなくても、今はこんな便利なものがたくさんあって、しかもタダなんですよ!」
ぐらいで、良かったのではないかと思います。
「そんなにお金かけちゃってぇ~」
「私は英語をマスターするのにそんなに苦労はしなかった」
って、一生懸命取り組んでいる人に対して言い放ってしまう人が結構いますが、そんな印象に近いかな…
問題は、学ぶ環境がこれだけ飛躍的に整っているのに、日本人の英語力は期待しているほどには改善していないこと。
タダで非常に有益な教材が溢れようと、「英語下手な日本人」っていう評判が変わることはあまり望めないのではないかと思っています。
なぜって、学ぶ方法論と利便性だけが問題なのではなく、そういった環境を実際に最大限活用するかしないかが一番の問題だから。
タダだからって、適当にやり過ごしてしまっている、または結局やらずじまいって人も多い。正直、私はその典型的な人間ですが…
タダだろうが、カネをかけようが、スマートだろうが、泥臭かろうが、結局は身につけた人が勝ち!私は商業的な見地から「英会話学校」の需要を喚起しようとするつもりはありません、念のため。
ただ、先日の繰り返しになりますが、英会話学校は
学ぶために行くのではなく、学んだことを“使う”ために行く
つまり、スパーリングの場として活用してみてはいかがでしょうか?
反論がやたら怖いけど…、以上が私の考え。
英会話学校に関することは別として、非常に有益な情報に溢れている本です。
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